名古屋家庭裁判所豊橋支部 昭和42年(家)96号 審判 1967年2月28日
申立人 川崎寅一(仮名)
事件本人 林田葉子(仮名)
主文
申立人を事件本人の親権者に指定する。
理由
本件申立の趣旨および実情は、
「事件本人は、昭和二七年一月五日、申立人と林田ていとのあいだに出生し、以来、申立人は親権者たる林田ていと共にその養育にあたり、昭和四〇年一二月一〇日には事件本人を認知した。しかるに右林田ていは昭和四二年一月七日死亡したので、申立人を事件本人の親権者に指定する旨の審判を求める。」というにある。
本件調査の結果によれば、次の事実が認められる。
一、申立人は昭和一四年頃、北条やすと事実上の婚姻をし、昭和二一年五月三一日、長男公一が出生、その届出の機会に、昭和二一年六月一三日、婚姻届出を了した。
二、申立人は昭和二一年夏頃から林田ていと親しくなり、一旦その関係を解消したこともあつたが、やがて公一と共に、申立人、やす、ていが同居するようになり、昭和二六年一月二七日にやすが二男義則を生み(同年三月一三日死亡)、昭和二七年一月五日にていが事件本人を出産した。事件本人出生の際には、助産婦が間に合わず、やすが介添をし、また、出生後、やすは事件本人を自分と申立人との間の嫡出子として届出ることを提案したが、ていの反対で実現しなかつた。
三、昭和二八年三月頃から、やす、公一は申立人と別居し、申立人はてい、事件本人と暮すようになつたが、事件本人はやすの住居にも出入りし同人に親しみを持つていた。
四、昭和四二年一月七日、ていは病気のため死亡したが、再起不能と知つて、事件本人がてい死亡後はやすの許に行くことを了承していた。ていの葬儀(やすも参列)ののち、親類とも相談の上てる、長男公一夫婦(昭和四〇年八月二三日婚姻)が、申立人方に同居することとなり、昭和四二年二月初から申立人肩書住居で事件本人を交え、五人暮しが始まつている。事件本人と、やす、公一等との折合いはよく、また申立人は畜犬商として相当の収入があり、従来ていの病気のため事件本人への配慮がややなおざりになりがちであつたが、今後妻やすと共に一層の努力をし、就職、結婚等のため万全の措置をとりたい考えである。なお、事件本人について、親権者林田ていの指定した後見人はなく、後見人選任もいまだなされておらず、申立人は親権者として監護教育にあたることを強く希望し、その妻やすおよび事件本人もまたこれを望んでいる。以上の事実である。
ところで、未成年者の単独親権者が死亡した場合、後見が開始し、後見人の指定がなされていないかぎり、家庭裁判所による後見人選任がなされることとなる。しかし、他方の親が生存しており、親権者となることを希望しており、かつその者が親権者たるに適当であると認められるような場合でも、なお後見人選任の途しかないと解すべきであろうか。文理上、このような場合に後見人選任以外の方法はなく、生存親が未成年者の養育監護に適当であるならば、これを後見人に選任すれば足りるという見解もあるけれども、当裁判所は、このような場合、親権者指定も許されると解する。その理由は次のとおりである。すなわち、
(一) 後見制度は、親権制度と現行法上区別され、前者は後者の補充ないし代用の性格を有し、後見人の地位は親権者のそれに比べて種々の監督規定も設けられ、かなりの制約を受けていて、いわば他人行儀な色彩が強いのであつて、親権者となるか、後見人となるかは、多くの面で相当の差違を生ずるから、たやすく両者を等質視することはできないこと、
(二) 未成年者に父母がある場合、現行法は、親権喪夫・辞退等特殊の事態がない限り、未成年者の養育監護は第一次的に父母が(単独もしくは共同で)親権者としてその任にあたることを期待し、父母がなく、もしくは父母が親権を行ないえないときにはじめて後見制度が登場するという建前をとつており、親権優先を原則とすると言うことができること、
(三) 国民感情としても、真実の血縁のある父母は、実子の後見人となるよりは、親権者としてその監護教育にあたりたいとする傾向が一般であると思われ、このような感情は、自然の情理として是認することができ、法律上も尊重することが妥当であること、
(四) 両親が生存しているのに単独親権となるのは、父母が婚姻関係にないことから、共同親権の行使に支障があるものとして、便宜上、父母の一方を親権者と定めることとなつているためで、他方が親権者たるに適当でないからではなく、他方の親の地位もいわば潜在的あるいは予備的な親権者として、できるだけ尊重すべきであること、
(五) 単独親権者が行方不明になつた場合が、民法八一九条五項にいう「協議をすることができないとき」に該当することに異論は見られないが、行方不明の場合と死亡の場合とを峻別すべき実質的理由に乏しいこと
などである。
他面、上記のような考え方に対して、民法八一九条五項は協議に代わるべき審判の規定であるから、協議の当事者たるべき一方の親が死亡しているときにはその審判をなしえないとの反論が予想されるが、同条項は両親生存の通常の場合を想定しての表現であるにとどまり、一方の親死亡後の右審判をすべて禁ずる趣旨であるとまでは考え難いし、親権者指定の審判は、これによつて直接に被指定者について親権者たる地位が形成されるのであつて、協議の成立が擬制されるわけではないから、右反論は成り立たないと考える。また後見開始後に親権が復活する結果となる点をいかに理論構成するかも一つの難問であるには違いないが、後見開始は観念的なものであるにとどまり、後見人選任(むしろ就職)が後見の実質の起点というべきであるから、後見開始後、後見人不在の間、未成年者の地位はなお浮動的なものと考えることができ、この期間内にかぎつて、上記審判をすることも、あながち無理ではないと思われる。
つぎに、しからば本件の場合、許されるのは親権者の指定(民法八一九条五項)であるか、それとも変更(同条六項)であるかという問題がある。その実質に着目して、後者であるとする見解もあるけれども、当裁判所は、父が認知した子に対して父を親権者と定めるという事態の処理であるから、前者によるべきものと解する。
ところで、本件のように、未成年者の認知が母の生存中になされた場合でも、親権者指定の審判は許されるであろうか。母死亡後に認知がなされた場合は、そもそも民法八一九条四項の協議を行なう機会がなかつたわけであるから、特に父を親権者に指定することは許されるが、母の生存中に認知がなされた場合は、協議をする機会があつたのにこれをせずにいたものとして、父を親権者とする審判はもはや許されないとの見解も一応成り立つであろう。しかしながら、民法八一九条四項は、協議の時期について、離婚の場合の同条一項のような体裁をとつていないので、特に認知と同時に、あるいはこれに接着して速やかに、協議を行なうことを予定しているとは見られないしまた非嫡出子の認知および父を親権者とする協議ということは、複雑な人間関係がからみあい、父母だけの意思で決し兼ねることも多いのであつて、父を親権者と定める協議がなされないことは、当事者の怠慢とばかりはいえず、協議の機会の有無によつて親権者指定の許否を決するのはこの種事態の実情に沿わない嫌いがあるといわなければならない。見方によつては、母が死亡するまで認知すら怠つていた父よりも、母生存中にいちはやく認知をしていた父の方が、親としての責任を果たしており、親権者たるにふさわしいことが多いとも考えられ、また認知の時が母の死亡時に先立つているからといつて、常にその間に協議のための時間的余裕があるとは必ずしもいえないから、父の認知の時と、母の死亡の時の先後によつて取り扱いを峻別すべき根拠はなんら存在しないと考えられる。そこで母の生存中に認知のあつた場合でも、母死亡後に父を親権者に指定することは許されると解すべきであつて、結局問題は、その父が親権者たるにふさわしいかどうかに帰着するのである。
このような観点から上記認定事実をみると、事件本人の単独親権者である林田ていは、後見人を指定することなく死亡し、後見人選任はいまだなされていないところ、事件本人を認知した父である申立人は、事件本人とその出生以来同居し、事実上の親権者として林田ていと共に事件本人の監護教育にあたつて来たものであり、妻やすとの同居が再開された後も、やすと協力して事件本人の監護教育に努力する決意であり、その能力も認められ、さらに事件本人とやす、公一等との融和の状況をも考え合わせると、申立人を事件本人の親権者に指定し、その資格において未成年者に対する権利義務を行なわせることが妥当であると認められる。
よつて本件申立を認容することとして主文のとおり審判する。
(家事審判官 田尾勇)